3 years past. (3.11から1年半後、そして3年後の今)

140311yamamoto

3年経ちました。

出張でアメリカに着いた日の夜、3.11は起きました。ツイッターで「すごい地震があった」という書き込みが雪崩のように更新されていく最中、急いでホテルに戻ってテレビをつけたら「日本全土がドラゴンヘッドの世界に」みたいな勢いで報道がなされていたあの日。そして、津波や放射能など様々な問題が取り沙汰され、各国が政策や経済に対してめまぐるしい動きをしていた一週間。

3.11を東日本で経験した人と自分の感覚は、今でもずれていると思います。当時は帰国するかどうかも悩んだし、異常に不安も覚えたし、帰国してからも周囲とのギャップも感じました。でも、今になってみれば、それは自分にとって良かったことだと思っています。あの土地に、関心を持ち続けることができたから。
 

1年半後の被災地に行って感じたこと

 
友人の仕事の関係で、山元町に来ないかというお誘いをいただきました。遠隔でボランティアこそしていたものの、当時はまだ不安も大きかったころ。行くかどうか正直ちょっと迷いました。でも行ってよかった。現地で私が見たものは、なすすべもない絶望ではなく、そこから再生しようとする「生命力の強さ」だったから。

あれは本当に衝撃的でした。

津波に襲われた小学校の時計は、あの日のあの時刻のまま。そして、津波に流された広大なエリアや瓦礫の隙間から生い茂る草木。ところどころ花が咲き乱れる場所もあり「あれは何か?」と問うと「おそらく、自分の家があったはずの場所に種を蒔いたのではないか」とのことでした。

もう戻れぬ家。海のそばに住む者ととして、その辛さは痛いほど分かります。でも、それでも草花は懸命にその生を全うしようとしている。その姿を見て、被災地へのイメージが一気に変わりました。

帰り道に寄った福島でも、町に出れば「除染中」と書かれた大量の看板を、テレビをつければ天気予報の一環で放射能予報を目にしました。そうした情報に日々ふれることへのストレスはやっぱり想像できないほど大きいはず。

それでも、現地の方の深い優しさや「何かに怯えて人生の選択肢を狭めるよりも、今を豊かに生きたい」という静かな気持ちにふれ、

生きるとはなにか。生きている感覚とはなにか

そんなプリミティブなことを教えていただいた気がするのです。行きとは全く違う気持ちで帰路についたことを今でもよく覚えています。あんなに不安だった場所は「またすぐに戻ってきたい場所」に変わっていました。
 

3年経って、いま感じていること

 
生きる勇気が欲しい人。前へと踏みだしはじめた人。そんな人々の気持ちにそっと寄り添っていけるような自分でありたいです。大切なことを感じさせていただいた恩返しとして。

また近々、今度は別の町に行ってきたいと思います。そこでまた違うことを感じるかもしれませんが、とりあえず今日は現時点での3.11を記録。

We are still with you, and will.
 

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