野球に興味がなくてもおすすめしたい一冊『球童 伊良部秀輝伝』

water's edge

人はこの世を去ると「象徴」になる。

誰かがその象徴について語るとき、本人の実態は無視されがちだ。いや、生きていても本質的には同じなのだけど、本人不在であるがゆえに他人の都合のみで象徴がひとり歩きしてしまうという残念な場面に、これまで何度か遭遇してきた。

ゆえに、私は自分の思い入れが強く親しい相手であればあるほど、死後、その人について語ることはほとんどない。

その人と一緒に過ごした時間。その人に与えてもらった影響。その全ては自分の中で大きな財産だ。死にまつわる後悔や苦しみさえも。だからこそ思う。その財産を自分の精神的な血肉にしよう。大切な人たちへの優しさに変えて受け継ごう、と。そうすれば、故人は自ずと色々な人たちの中で生き続けるはずだ。それが自分と故人との向き合い方だった。

死なせてたまるか。生きたかった年月だけ、誰かの中で魅力的に生きていけ。

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最近、縁あって借りた本『球童 伊良部秀輝伝』は、そうした自分の考えに対してとても良い意味でカウンターとなる解だった。丁寧な調査と取材に裏づけられた「語り」の中で、伊良部という人間がその長所も短所も含めて愛おしい存在として蘇っていた。

この本の存在によって、伊良部はある意味で半永久的な命と自由を手に入れたかもしれない。死後なお彼を取り巻いていた無責任な好奇心に振り回されることなく、彼はもう少しこの世で生き続けていける気がした。

不思議な安堵感のある一冊だった。

部屋に転がってページをめくる。伊良部が最後の球団ファイティングドッグス(四国のアイランドリーグ)で活動を始めたあたりで、我が家の近所にある球場から歓声が上がった。私は野球をほとんど観ないけれど、週末、風に乗って流れてくるこの音はいつも心地いい。

試合はいつの間にか幕を閉じたらしく、本を読み終える頃にはやわらかな雨音だけが部屋を通り抜けていた。
 

 

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